居酒屋の基本
一九五八年七月四日、オーストリアのセカウ大寺院で公衆に向かって一篇の文章を朗諭したのが始まりだった。
「建築における合理主義に反対する〝かび草″宣言」(「セカウ宣言」「かび宣言」などと略称される)。
人々を「檻の中の囚人やうさぎのように立方体の建物に監禁」し、自然との関係を断ち切っている「現代の機能主義的建築家たちの無責任な野蛮行為」を、それは激しく糾弾している。
ル・コルビュジェ、「バウハウス」、グロピウスらの近代建築は取り壊されるべきなのだが、こちらは「より人間的」なので、そういう荒っぽいことをするかわりに、そういう建物に腐らせるための溶剤を注ぎ込み、苔と草の生い茂るがままにされるべきだと考える―というのが、「かび草」の由来となっている(かび、苔、草は彼にとっては美しいものであり、否定的な意味ではない)。
その後、世界中で公刊され、追補されていった彼の主張を、キャッチフレーズ風に抽出、要約するとこうなる。
「全ての直線は犯罪である」「窓の権利」、「緑の義務」「家は人間の第三の皮膚である」「家は人間を映し出す鏡である」自然の世界には「直線」であるものはひとつも存在しない。
私たちの回りに氾濫する「直線」は全て人間、とくに建築家たちが定規を持ちながら作り出したものである。
それが人工的、非人間的な空間を作り、人間疎外を生んでいる。
肉体の皮膚(第一の皮膚)、着るもの(第二の皮膚)と同じように「第三の皮膚」であるのが家。
それと外側とをつなぐ「窓」について自由に変える「権利」を持たなければ、創造す1「木」を見直する生きものとしての人間は滅んでしまう。
その外側には自然と人間とのつながり、調和を保つものとして「緑」がなくてはならない(「緑の義務」)。
フンデルトヴアツサーハウスは曲線に充ちた建物で、歩く床でさえなだらかな起伏がある。
ひとつとして同じ型の窓はなく、どれも丸味を帯びている。
その窓先には彼が「間借り樹木」と呼ぶ木が植わっていることが多い。
だが、いちばんの壮観は屋上である。
そこは森の公園なのだ。
こんなに本格的に屋上で樹木を育てたら、水もれなど建物に影響が出はしないかと心配になる。
「現在のテクノロジーではそんなことは簡単に解決できる。
しかも、それがいちばん進んでいる国はどこか知ってるかね。
日本だよ」と彼は私の心配を笑った。
「草屋根」で建物を覆うべきだというのが彼のもうひとつの主張で、環境(ごみ、酸素など)との関係を考えると、都市部でこそ、それは有用だという。
「第三の皮膚」に続いて「第四」(社会環境など)、「第五」(地球環境)にまで思考を発展させていった彼は、よくエコロジー・アーティストの始祖と見なされる。
同じくウィーンのごみ焼却場という〝負の建物″を夢のある建造物に変貌させたのも、もうひとつの「物語」ではあるが、世界中に彼の設計した建物が群立しているわけではない。
直線は効率を体現しているから、相変わらず無機質などルが世界の大勢を占める。
だが、最後に会った彼は、「次の世紀は自分のものだ」と己れの主張への揺るぎなき確信を語り、その世紀を目前にして世を去って行った。
なぜお寺で安らぐのかフンデルトヴアツサーの放浪先は日本にも及び、しかも世界の中でも緑の深いほうの国である。
もともと北斎、広重に惹かれていた彼は、日本の木版画の技術に惚れ込み、京都の職人たちとの共同作業を重ねている。
彼の長たらしい名前はこれを日本語にした「百水」という雅号を木版画では用いていた。
日本人の女性と結婚していた時期もある。
私が仕事をしている東京放送(TB~)の一隅には、彼が設計した水洗式の屋外大時計が(水流は使わないまま)時を刻んでいる(大阪市舞洲でも彼のデザインしたごみ焼却場が二〇〇一年になって完成したが、芸術の都ウィーンとちがって、税金のムダ使いだと評判が悪い)。
だが、私が彼に興味を持ったのは、そういう日本との縁がきっかけではない。
「木」を見直す私の側に次第に膨らみ続けていた疑念と衝動があってのことだった。
それは彼の言う「第三の皮膚」うまり「住」、「家」にまつわり、そして私たちの先祖がその材料として長らく用いてきた「木材」に関するものであった。
一九七〇年、私は当時米軍統治下の沖縄での足掛け三年の「特派員」生活を終えて、本土に戻って来た。
大阪万博が開かれている時で、慰労出張に近い形で現地に赴いた。
会場入口の岡本太郎の「太陽の塔」をじっくり眺めているうちに、中に入る気がなくなった。
その足で京都に向かい、お寺をぶらぶら歩き回ったり、昼寝したりして過ごした。
それ以来、外国で暮らしたり、長期滞在するたびに、帰って来ると同じことを繰り返すようになった。
そこに身を置くと気拝が安まるのはなぜなのだろう、とやがて考えるようになる。
万博から一〇年後、形はちがうが同じようなことをやっているのではないかと思える事象に出会った。
場所はポーランドである。
この年、造船所の機械工、レフ・ヴアウエンサ(ワレサ)が首謀者となって起こした蜂起は「連帯」に発展し、ソ連の東欧支配を揺さぶった。
後からふり返ると東西冷戦構造が崩壊する起点であったこの動きを取材するために出かけたのである。
ところで、そのヴアウエンサである。
超多忙のこの民衆的英雄は、時々姿をくらます。
行き先は教会だった。
ひとりでしばらく坐って時間を過ごして戻って来る。
私たちの現地アシスタントをつとめてくれたポーランド人の女性も似たような動作をすることに気付いた。
日本人以上に美しい日本語を使うこの女性は「ちょっとおミサに行って来ます」とミサに敬称を付けて出かける。
私のお寺と彼らの教会とでは、信仰心に雲泥の差があるにちがいない。
が、そこに心の平安を求めていることでは共通していないか。
ヨーロッパを旅して教会に立ち寄ると、そこにじっと坐っている人の姿をよく見かける。
宗教心の乏しい私がなぜ、お寺の空間で安らぐのか、自分の心の中をまさぐっているうちに辿り着いたのは「木」であった。
「木の文化」のなかで育って来た私が、それに囲まれた空間で気が休まるように、「石の文化」で生きて来たヨーロッパ人は「石室」のような教会の中で落ち着くのではないか。
戦後の復興とその後に猛烈な勢いで進んだ経済発展は一面では「木からの逃走」であっ1「木」を見直すた。
石の「代用品」とも言えるコンクリートの箱の中にわが身を置くことが「近代的」「機能的」なのであった。
木造建築を「遅れた」ものと見なす風潮には、明治以来の欧米化、近代化への憧れに加えて、戦中の空襲体験が心理的には大きかったと思う。
日本中の都市に降り注がれた焼夷弾は、日本の都市が木造であることに着目してアメリカ軍が開発したものであった。
以来、「不燃化」は都市にとっても住宅にとっても執念となった。
火事に弱い「木」がしりぞけられるのは当然の成行きだった。
江戸時代、あれだけ大火を繰り返しながらも頑固かつ怠慢なほどに「不燃化」に向かわず木造に執着し続けた先祖たちと、それは対照的だった。
不燃化しょうにも当時はセメントのような素材も経済力もなかったというのは一面の説明で、紀国屋文左衛門の「成功物語」に見られるように、大火は鎖国・平和経済の下では有効需要喚起の側面もあったと見られる。
めっきり木を使わなくなったため、前章で触れたように、森林経営は回転しなくなった。
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